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「鏝絵は遊びでやってるだけですよ。」笑いながらそう話すのは、左官で鏝絵技士でもある市兼武志さん。18歳から左官の道に入ったという左官歴42年の大ベテランだが、鏝絵に関してはまだまだ学ぶことが多いのだという。
市兼さんと鏝絵との出会いは今から27年前。本芳我邸を修理する際、目にしたのがきっかけ。「左官さんがやったと聞いてビックリしてね。それで私もやり始めたんやけどなかなかうまくいかんのやね。5年かかってようやく形になってきたんですわ。」
もともと鏝絵は福を呼ぶものとして、また魔除けとして各家々に取り付けられていた。しかし市兼さんによるともうひとつ別の意味合いもあったのではないかという。「左官さんは家を建てても名前が残らないんですよ。鏝絵はこれは私がつくりましたよという手形を残すようなものじゃないですかね。」
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鏝絵の全盛期は江戸時代から明治にかけて、明治の文明開化によって商人以外の一般の家にも広がっていく。その後、戦争を境に衰退の一途を辿っていったという寂しい歴史を持つのだが、この平成の世にそのよさが再び見直されつつあるという。「10年前は鏝絵の認識はなかったですよ。私が始めた頃はもちろん師匠なんていなかったですから昔の鏝絵を見て研究しながら、本当に手探り状態ですよ。」そのため、鏝絵のつくり方も自己流。鏝絵とは左官の鏝を使って画いた絵のことで、漆喰を重ねていくことに新旧変わりはない。しかし漆喰の下に隠れている芯のつくり方は人によっても作品によっても違う。
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昔は木や竹を組み合わせるなどして形をつくっていたようだが、市兼さんは金網や軽量セメントを使用するなどどうやら現代風にアレンジしているようだ。こうして芯となる形をつくった後、ようやく漆喰を塗る作業に入る。一鏝一鏝少しずつ肉付けをし、乾いては塗り、乾いては塗りを何度も何度も繰り返す。一気に塗ってしまうとひび割れてしまうのだという。鏝の種類の多さにも驚いた。見せてもらったのはほんの一部、鏝は画く部分によって使い分けている。右手と左手に違う種類の鏝を持ち、少し塗っては作品を見つめ、また少し塗っては作品を眺める市兼さんの表情は画家のようにも見えてくる。作業場に並んでいるたくさんの画きかけの鏝絵、並行して作品づくりに励む市兼さんは芸術家に近い鏝絵技士なのかもしれない。ギャラリー入口に掛けられた『こて絵とは左官の妙技』と書かれた看板に、市兼さんの鏝絵に対する思いすべてが込められているように感じた。
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| そんな市兼さんだが、最近の内子の町並みについて気になっていることがあるという。「土壁が変わってきて昔の町並みの色が消えてるんですよ。昔はもっと黄色かったんですが。ちょっと見てみますか、色が全然違いますよ。」そう言って外に出て見せてもらったのは最近、市兼さんが塗り直したという土壁。「これが内子の土で塗った壁です。周りの壁と色が違うでしょう。この前、山に行って自分で土を掘ってきたんですよ。昔はどの家も内子の土を使っていたのに、今はよその土を使っているんで白っぽくなってきてるんです。」変わっていないように見えて、実は変わりつつある内子の町並み。長い間、この地で土壁を見つめながら暮らしているからこそ感じる変化なのだろう。本来の内子の町並みを残すため、左官として鏝絵技士として市兼さんの挑戦はまだまだ続く。 |

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